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シャンバラの謎とアトランティスはこんなに凄かった
シャンバラの謎とアトランティスの不思議の真相を知りたくありませんか?
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シャンバラの謎とアトランティス
シャンバラの謎とアトランティス・日ユ道祖論のブログです
正統派キリスト教のプロテスタントの牧師でもある久保有政氏の著書です。
氏は学研ムーブックスに、レムナントARKシリーズとしていくつかの著書を書かれてきました。
さすがに本職の牧師様ですから、キリスト教に関しての知識は言うに及びません。
そんな著作の中で、ひとつだけ、当サイトに取り上げようかどうか大変に迷った著作があります。たぶん、私はこの本を取り上げるか否かについて2年近く悩みました。というのは、久保氏が仏教について書いている本だからです。
日本では仏教徒の数は多いですが、それはただ檀家であるだけで「葬式仏教」としての認識しかないかたも相当います。それは認めます。しかし、中には在家であっても真摯に正統派仏教を信仰しているかたもたくさんいるのです。その代表が美輪明宏さんではないでしょうか。
この記事では美輪氏のことを書くつもりはありません。単なる例としてあげたまでです。
はたして、本書の前書きにあるような、「本書において明らかにしようとしたのは、仏教の本当の歴史である。とくに、日本の仏教の歴史である。これは歴史の真実を知りたいという欲求に基づくものであって、それ以外の意味はない」とする氏の言い分というのは果たして常識的なのか。私はそれを危惧したわけです。
少なくとも、氏は歴史学者でもありませんし、仏教徒でもありません。そのプロテスタントキリスト教の牧師がこのような作品を著わすことはいかなる意味があるのか。その点に疑問を持ったのです。これが逆に天台宗、真言宗、あるいは日蓮宗のような仏寺で出家し修行に励んでいる僧が、「日本におけるキリスト教の歴史をあきらかにしたい」との意図で本書のような作品を著わすことを、彼らプロテスタントキリスト教徒は認めるのだろうかという素朴な疑問もありました。
まず、この作品の前書きには「インドでは仏教はすでにヒンドゥー教の一派のようになってしまい、力を持っていない」と氏は書かれているのですが、インド10億人の人口のうち、今では1億人が仏教徒と言われています。
これは不可触民出身のアンベードカル博士が、同胞30〜50万人と一緒に、1956年10月に仏教に改宗したからです。残念ながら、アンベードカル博士は志半ばにして同年12月に亡くなりますが、その後も不可触民の仏教への改宗は続き、今では在印40年ともなる出家僧、佐々井秀嶺師がインドの仏教徒とともに活動しています。今では仏教徒は1億人になろうかとしています。これを以てして、「仏教はヒンドゥー教の一派のように」なったといえるでしょうか。仏教に改宗した不可触民の人々はヒンドゥー教徒として、人間並みの扱いをされず、牛馬のごとく扱われ、影を踏むことも汚らわしいというアウトカーストととしての扱いに我慢しきれずに、アンベードカル博士とともに改宗したのです。これが、「仏教はヒンドゥー教の一派」などと言ったら、彼らの自尊心とアイデンティティを傷つけることになりましょう。(このあたりの詳しいことに関してはムー2004年11月号110ページからにくわしく書いてあります)
また「仏教の中のユダヤ文化」では、聖徳太子は暗殺され、一族もすべて殺されたので、今日日本のどこをさがしても聖徳太子の子孫はいないと書かれています。
これについては、遠山美都男著聖徳太子未完の大王
『上宮聖徳法王帝説』によれば、このときに山背大兄王とその「昆弟等あわせて十五王子等」が亡くなったとされています。「十五王子」という数字には信憑性が認められますが、「昆弟」という表現に疑問があります。「昆弟」とは兄と弟ということであり、山背大兄は聖徳太子の子女の中で最年長であって、異母であっても彼には兄と呼ぶべき人物はいなかったはずだからです。その点を除けば、山背大兄とその子女山背大兄の同母弟ののそれぞれの子女を合計すれば、十五名という数字は大体妥当なものであると思われます。
『上宮聖徳太子伝補闕記』の方ですが、こちらは入鹿の手にかかって「太子子孫男女廿三王」が殺害されたことになっており、「廿三王」の内訳まで克明に記されています。この中には聖徳太子の子女や孫だけでなく、その兄弟姉妹の名前まで記されています。これはかつて久米邦武が「同死の子弟妃妾は、補闕記に廿三王を記する中に用明の王子を混ず。且太子の薨より二十年を経たれば、山背王の年には五旬に及ぶべく、他の男王は宮を異にし、女王は嫁したるもの多からん。一処にて殲滅せるとは信じがたし」と明確に指摘したように、この時に亡くなった人々の正確なリストであるとは考えられません。これは聖徳太子の系譜についてよく知っている人が、太子一族の中で明らかに既に亡くなっている人を除いて、太子一族の名前を残らず書き記したものにすぎないと考えられます。
したがって、『上宮聖徳法王帝説』の「十五王子等」という記述と合わせて考えるならば、643年末の兵乱によって太子一族がひとり残らず亡くなってしまったとは考えがたいのではないでしょうか。少なくとも、太子のいわゆる直径の人々はこのときに滅び去ったとしても、それ以外の人々が生き残った可能性は十分にあると思われます。
たとえば、太子の同母弟である来目皇子の子孫は登美真人という氏族となって生き続けました。登美真人氏は法隆寺のあった斑鳩の近傍に本拠を構え、平安時代には法隆寺の檀家であったことが知られています。やはり太子の同母弟であった殖栗皇子の子孫も、蜷淵の真人としてその血筋を後世に伝えています。これは奈良県の明日香村の蜷淵(南淵)を根拠にした氏族です。また、太子の異母兄のの当麻皇子の子孫が当麻真人氏です。有名な当麻寺はこの一族の創建になるものです。
伝飛鳥板蓋宮跡から出土した647(大化3)〜664(天智3)年ごろの木簡に「白髪部五十戸」という記載が見えますが、これが白髪(部)という名前の宮殿あるいは王族に奉仕する集団五十戸に編成されたことを示すとすれば、643年以降のこの段階において、この服属集団が奉仕を受ける主人として、太子の息子白髪部王がなお生存していた可能性もあるでしょう。さらに皇極女帝の先夫だった高向王とその息子の漢皇子も、643年末の兵乱を免れた可能性が大きいでしょう。
このように、643年、すなわち太子が亡くなっておよそ20年後に、その一族がひとり残らずこの地上から忽然と消え去った、というのは、明らかに事実ではありません。それは聖徳太子を信仰する立場の人間が、太子の高潔な人格を継承した人びとの最期はかくあるべしということで作り出したフィクションの域を出るものではないと思われます。
引用が長くなりましたが、このような説もあるのです。ちなみに遠山美都男氏は、「大化改新?六四五年六月の宮廷革命 (中公新書)
「仏教の中のユダヤ文化」の118ページには、もともと仏教にはお盆というものはなかったと書かれています。それは本当だと思います。ただし、日本の仏教に盂蘭盆会が取り入れられた系譜については、もともと神道にあったお盆という習慣を日本の仏教が取り入れたとの話を聞いたことがあります。もっとも久保氏は民族的な日ユ同祖論というよりは、信仰においてユダヤ教と神道は同祖であるという意味で日ユ同祖論という言葉をお使いになっているようですので、結果的に神道から取り入れたということはユダヤキリスト教から取り入れたという結論に行き着くかもしれません。
また、位牌については仏教と儒教が融合したという説が有力なような印象を受けます。
鳥居のある寺院については神道と日本仏教の融合であるという説もあります。
そして、数珠についてなのですが、これは飛鳥昭夫氏の「失われた堕天使「ルシファー」の謎 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)
そして、本書113ページには、真言宗では葬儀のときに棒で水平に3回、垂直に1回空を切ると書いてありますが、それは本当です。(少なくとも真言宗豊山派ではそうです)
最後に、遠藤周作氏などが生前おっしゃっていた、信仰という山を登る方法はいくつもあるという言葉を書いておきたいと思います。
もし信仰の頂点(宗教の頂点)が富士山の頂上だとすると、頂上に登る道はいくつもあるということです。
仏教といってもたくさんあります。大乗仏教もあり上座部仏教もあり、ビルマ仏教のように自然霊をも対象に入れた仏教もあります。そして、アンベードカル博士が帰依した仏教は大乗仏教でも上座部仏教でもなく、インド独特の、その時代のその場所にしか生まれ得なかった仏教です。
実は釈迦の処女懐胎伝説というのを、私は本書で初めて知りました。釈迦は自然の子として生まれたと、一般人に向けて書かれた痛快!寂聴仏教塾
確かに釈迦が生まれたときの伝説というのは奇想天外なものもあります。マーヤー夫人の脇の下から生まれたという話もありますし、うまれてすぐにすくっと立ち上がり、すぐに前に7歩、後ろに7歩、右に7歩、左に7歩歩き、右手を上げて天を指し「天上天下唯我独尊」とおっしゃったという話は有名です。
本書を読まれる方は、謙虚さと自分の芯をお持ちになった方がよろしいと思います。
謙虚に本書を読むことはたいへんよいことだと思いますが、自分の中に一本芯が通っていないと本書の内容ではなく、外面に振り回されてしまい、入らぬ誤解をしてしまうこともあるからです。
そして、本書だけではなく、他の久保氏の著作を読んだり、せっかくのきっかけですから、学研エソテリカシリーズの、キリスト教の本やユダヤ教の本、また仏教の本も読んでみるとよいとおもいます。
仏教の中のユダヤ文化?聖書から見た釈迦の教えと聖徳太子伝説 (ムー・スーパーミステリー・ブックス)

初心者にも分りやすい仏教の本
痛快!寂聴仏教塾

アンベードカル博士と仏教についての本
アンベードカルの生涯 (光文社新書)

天使と悪魔についてはかなりの読者が多少なりとも知識を持っていると思われる。
西洋では最近とみに天使崇拝が盛んになっており、守護天使なるものが人気を読んでいるらしい。
今回紹介するのは天使と悪魔がよくわかる本という、題そのままのものである。
本書のすぐれたところは、著者がきちんと宗教学を専攻した方だということである。(現在は高等専門学校の講師をなさっている)
天使を象徴する翼は、実は異教のキューピッドに影響されたものである。
そのことは、聖書外典の「トビト記」を読んでみていただければわかる。
天使が登場するが、別に普通の人間と外見上は変わりないのだ。
だから、翼が天使を象徴しているというのは、あやまった認識なのであろう。
本書にはキリスト教の天使と悪魔だけでなく、ユダヤ教、イスラム教、ゾロアスター教など、あらゆる宗教の天使と悪魔を扱っている。
しかし、この著者はいうのである。
天使と悪魔の間には実は絶対の区別はないのだ、と。
このあたり、少々飛鳥昭雄氏とはちがった見解である。
飛鳥氏の天使悪魔論は既刊失われた堕天使「ルシファー」の謎
ここでちょっと思い出していただきたいのだが、エドガー・ケイシーという予言者がアメリカにいた。
眠れる予言者といわれた彼である。
彼は晩年は日本が沈むとか、ポールシフトがおこるとか、ニューヨークが海に沈むとかいろいろと不吉なことをいっていたわりには、それらは全く実現していないのだが、彼にそれらを予言させたのはハラリエルという天使だったという。(ちなみに、エドガー・ケイシーは「沈みつつある」と言っていたのであって、「沈む」というのは誤訳であると南山宏氏は述べている)
〜エルという名前は天使にはありがちな名前であって、エルが神という意味なので、〜エルという名前の天使はみな「神の……」という意味の名であると言える。
ただし、ハラリエルに関しては、聖書のどこにもその名が出ておらず、飛鳥氏はハラリエルを堕天使と断言している。
飛鳥氏ですら「晩年のエドガー・ケイシーは」というようにハラリエルに翻弄(?)されるようになったのは、晩年のことだとしているのだが、「天使」と「悪魔」がよくわかる本においては、「かなり初期からケイシーはハラリエルをうとんじていたらしい」と書かれているのがちょっと気になる。
ケイシー自身は小学校時代に「白い衣を着た人物」を見て以来、予言の能力を得たらしいのだが、すると、この白衣の人物がハラリエルだったのだろうかという疑問が出てくる。
ハラリエル自身は、しばしばケイシーの主催する集会に頻繁に参加していたらしいのだが、あまりにも不吉な予言ばかりをするので、どうも集まった人たちに好まれなくなっていったらしい。
ただ、ハラリエル自身はケイシーの口を借りて「堕天使と戦うミカエルの側につくもの」と言っていたらしい。
はたしてハラリエルとはなにものだったのか。
本書を読んでチラとそんなことを考えたのである。
大変読みやすい本なので、天使や悪魔に興味のあるかたはお読みになっていただきたい本である。
それに、なにしろ安い。
本書の著者であるアントニオ・コレリ氏というのは、アンダーグラウンドで活躍している研究家らしい。
まあ、有り体に言えばかなり素性が謎につつまれているといっていいだろう。
しかし、氏は元修道士であり、かつてはバチカンの極北布教計画実施の際、特命神父として活躍したこともあるという。
そのあたりは、本書を読んでいただければ分かるが、かなりファティマの予言に関して紙幅を割いていることからも予想がつく。
ファティマの第3の予言に関しては、様々な憶測が飛び交っているものの、未だ一般には開封されていない。
そのファティマの第3の予言なのだが、この解読作業はイタリアの某修道院で行われているとのことである。
そして、その第3の予言を氏は手に入れて本書に掲載している。
かなり長い量である。
書かれたのが20世紀末ということもあって、かなり世紀末的記載も多い。
つまり、ハルマゲドン的なことを書いているのであるが、とりあえず21世紀に突入した現在となっては安心して読める内容である。
しかし、氏は2012年までの地球の変化について書いているので、そのあたりはまだ予想がつかない。
太陽フレアの影響や、ポールシフトのことにも触れている。
日本を含むアジア各地の天地災害にもかなりくわしく触れて分析しており、その点ではこれから生活を送る上での重要な点にふれているといってよかろう。
また、最終章ではアメリカ在住のゴードン・マイケル・スキャリオンという預言者のことについて述べている。
G・M・スキャリオンは著者の友人であるそうで、アメリカでは現代のエドガー・ケイシーとよばれている人物らしい。
彼の予言は99%が当たっているということなのだが、「2000年までにポールシフトがおこる可能性については100%」という予言に関しては外れている。
すくなくとも、20世紀中にポールシフトが起きたという話はない。
翻訳家であり、また超常現象研究家である南山宏氏は、「予言はそれが当たることが重要なのではなく、逆に当たらないことに意義がある」と述べているが、それはG・M・スキャリオンのような預言者にもいえることだろう。
予言をあまりにも重要視してカルト宗教に走ってしまう若者が多い中で、氏の発言というのはかなりの重要度がある。
また、これも南山氏が指摘していることなのだが、原書の訳というのはかなり気をつけなければならないということだ。
エドガー・ケイシーがカリフォルニアと日本が沈没するといった予言を残し、それが外れたという指摘があるが、これに関しても、原書に忠実に訳すと、決してエドガー・ケイシーは「沈没する」とは言っていないそうだ。
沈み始める
と表現した方がよいらしい。
だから、予言に関してはわれわれはかなりの注意度を持って接しなければならない。
また、ファティマの予言についてだが、既刊の雑誌ムーによると、ヨハネ・パウロ2世は第3の予言を公開しようとしたらしい。
そしてそれを握りつぶしたのが、何を隠そう、枢機卿時代の現法王のベネディクト16世だというのだ。
ファティマの予言に関しては、シスター・ルシアも他界した今となってはこれからどうなるか予想もつかない。
人類の未来という観点からすると、新約聖書のヨハネの黙示録におけるハルマゲドンに注目すべきなのはとうぜんなのだが、著者はそれに加えて聖書外典・偽典である、トマスの黙示録、ペテロの黙示録、パウロの黙示録をあげてあらたな視点から未来を指摘している。
本書の8割はすでに時期的に過ぎたことであるから安心して読むことができる。
しかし2割程度はこれからのことなので、十分ありうることであって、また注意を促す内容となっている。
21世紀の我々人類共通のキーワードは「アース・チェンジ」である。

